閃光が走り、青白い脈が浮かぶ。夜を打ち割り、その瞬間別のモノも割れた……表情もなく
天井を睨む男の顔面を白い光で埋め尽くし、這い上がったところに、異形と化した顔がある。顔の下には
黒く亀裂に似た影が這い、鍵爪を喉笛へかけて、問う。「お前は誰だ?」
「わたしは、ヴァーダイトの王……」
「名前は?」
「ジャン・アルフレッド……」
「違う!」
再び閃光が走る。目を閉じてはならない。すえた匂い、腐臭とも獣の息ともつかぬ、あるいは
おのれ自身の息なのかもしれない。寝台に横たわり、シーツを引き裂きながら喚き続けて、
もう一体幾夜が過ぎたのか。鍵爪に首を持ち上げられ、再び問われる。
「お前は誰だ?」
誰だったろう? それにしても、何だと答えれば、こいつは満足するのか。彼は顔を背けよう
と抗った。顎が軋み、喉がみしみしと鳴る。
「わたしは……ヴァーダイトの王……ジャン……」
「違う!」
叫びが耳をつんざく。おかしな話だ、自分の声で頭が割れそうになるというのは。
しわがれた声。とてもおのれのものとは思えぬ。手の甲には腱が浮き、最早骸骨のそれと変わらぬ。
顔も変わっているに違いない……二目とは見られぬ形相に。汚臭にまみれ、汚物を撒き散らし、
狂気じみた穢らわしい言葉を吐き散らし。これが自分だというのだ。しかし、自分とはそもそも
何であったか?
「わたしはヴァーダイトの王、ジャン・アルフレッド・フォレスターだ! それ以外のモノでは
ない!」
牛のようにくびきが引かれ、悲鳴が夜に轟く。
始まりはいつであったろう。きっかけは? 青白い閃光が走った……空が割れたかと思う程の、
太い光線。今思えばただの稲光ではない。それが幕開けであり、終幕でもあった。すべての
終わり、幸せな日々の……あの時までは確かに何もかもがうまくいっていた。国は栄え、民は
彼を称え、彼自身もまた幸福だった……愛する王妃、愛する息子、そして……傍らに寄り添った
王妃の微笑は、なんと優しく、信頼に満ちていたか。無心に遊ぶ息子の、なんと可愛らしかった
ことか……けれどすべては終わった。終わってしまった!
恐怖に歪んだ王妃の顔。湖水のように澄んだ瞳が、金縛りにあったように愕然と彼を見据え……
自分は剣を引き抜いている。狂人に剣を持たせておくとは、一体この城の連中はどういう神経を
しているのだろう? 光る刃に一瞬映ったおのれの顔。これが俺の顔だとは……
「おやめください! どうかおやめください!」
いつになったら分かるのだ。ここにいる男はもうお前達の主などではないのだ。「王子を殺せ!
血を分けた息子を! お前の手で!」手綱をとったものが言う。干からびてはいるが自分の声だ。
「王妃も殺さねばならぬ。二人目の子を宿した、王妃も……」剣を振りかざしはしたが、
有り難いことにそれまでだった。膝が力を失い、酔いが回り過ぎたように崩れ落ちた。それで
少しは正気に返ることが出来た。
「アレフはまだなのか! 早くあいつを呼んでくれ……」
いつまたあの閃光が走るか分からぬ。既に何度も、しかも長期間に渡って、自分はあれに身体を
明け渡してしまっている。この上、魂まで奪い取られることになっては……
王はすすり泣いた。「わたしを斬ってくれ。このわたしを」
四人の側近たちも邪魔だ。正気に返ったふりをして、そのくせじわじわと民を苦しめていきながら、
薄笑いの仮面の下で好機を計る。稲妻……稲妻を操れるようになった自分が誇らしい。これ程の
力を我がものに出来るとは! 国土は暗雲に覆われなくてはならない。ちっぽけな小国。それでも
これは自分のものだ! このわたし一人の!
それでも魂だけは未だに明け渡されてはおらぬ。お陰で時折、ごく僅かな時間だが本当に正気に返る
ことがある。無論、完全に思うままになどはならぬ。最近では、一言でも言葉を発すれば、
すぐさま"交替"を告げられる。
「お前達を全員斬る。お前達はわたしに隠し事をしている……」
恐怖に凍りついた、四人の顔。密談をしていたのは事実なのだ。王がこの有り様では、当然の
ことだ。しかし、それでも立派に処刑の口実にはなる。
「王よ、この場で首をはねるとでもおおせですか」ベルニーニ・ルトナが感情を押し殺した
声で述べる。
「だからどうだと言うのだ?」
悪あがきも甚だしい! 奸智にばかりたけた、能無しのくずども……
それにしても、あの男が既に来ていたとは。機を見計らったかのように扉を開け放ち、今まさに
剣を振りかざそうとした自分の前に立ちはだかった!
「邪魔をするか! アレフ……」苦汁が歯の間から滲み出る。
「無論です、このために来たのだから」ためらうことなく、剣を抜く。この自分に対して!
「反逆罪だ!」
「生憎と、わたしはあなたの臣下じゃありません」
いけしゃあしゃあと言ってのける。憎悪が破裂した。振りかざしかけた剣を、そのまま振り下ろす。
刃はアレフの剣と噛み合い、金切り声じみた悲鳴を上げた。間近に迫った顔、歯を食い縛り、
真っ直ぐにこちらを睨みつけ……「情けない! あなたとこんな形でやりあうとは!」
どこからか、遠く、アレフの声がする。たぶん階下ででも側近たちと話し合っているのだろう。
神経は研ぎ澄まされ、見えない触手を張り巡らしでもしたように、どんな些細な物音でも聞き
つけることが出来る。こんなことが人間に出来るはずがない。そういえば、自分が人間である
ことを、ついぞ忘れ果てていた。
「もう万策は尽きた! 何をしても王を救えぬ……」
絶望の溜め息。
「王は何かにとり憑かれておられる。一体何者が王の自由を奪ったものか?」これはエルランド・
バスケスだ。「それが分かれば、対処の仕方もありまする」
「誰か、王に憑いたものの正体が分かる者はいないのか?」
沈黙。
「王を救うことは、最早諦めなくてはならないのかもしれません」と、これはメルタ・ラモンドル。
すぐに苦渋に満ちたアレフの声が、「馬鹿な、王を処刑するというのか? そんなことが
出来るわけがない」
再びエルランド……「それに、今の王は強い魔力をお持ちだ。処刑など誰が出来る?」
「アレフ様なら出来ましょう」
「出来るかどうか。出来たとしても、わたしはやりたくない。ここにいる皆と同じくな!」
激しく机を叩く音。「あれが人間のふりをして圧政などにかまけているうちは、まだいい。
あれが人間のふりをやめたら。その時が恐ろしい……」
それでもやつはわたしを斬りたくないと言うのだ。なぜそうしてくれぬ? 何日も前に、あるいは
何ヶ月も前だったか? わたしは斬ってくれと哀願したはずだ。鋭い剣の一振り。まさか剣匠が
剣筋をたがうまい。喉から胸へ、たった一筋の傷で済む。それですべては……すべて終わる。
この苦しみ、終わってしまったことへの悲しみ……もうとっくに何もかもが終わっているというのに、
それを知っているのはこの自分唯一人なのだ……終わらせてくれ。親友の手で。
きっかけは何だったろう。このおぞましく、嫌らしいものが自分にとり憑き出した、そもそもの
はじまりは。何かがあったはずだ。稲妻! あんな下らないことではない。もっと直截的で、
もっと意味深な何かがあったはずだ。いや、あったのだ、確かに……あれはいつのことだった
か? 分からない。王の乱心にばかり気を取られて、誰も気にもとめなかった。しかし、
見過ごしてはならない、重大なことだった……
すべてを解く鍵。あの連中はなぜ、思い至ってくれないのだろう? あんなにも分かりやすい
場所に、それもこれみよがしにあるというのに! 目にとめさえすれば、対策が開けるというのに。
国は救われ、王子も……わたしは助からぬ。それは自分でも分かっている。そんなことはしかし、
問題ではないのだ。「わたしはヴァーダイトの王!」どんなことをしても、その務めは果たして
みせる。渾身の力を振り絞り。廃物のたまった寝台から床へ……床も汚れきっている。どう見ても
人間の暮らす部屋ではない。獣の棲家だ! かつては光り輝いていた、王の居室……
扉! 扉に鍵が掛かっている。その上、二重に打ちつけられている……当然のことと言えば
言えるが。魔力を振るうしかない……
恐れの余り蒼ざめきった衛兵の顔。「王が! 王が居室から!」「誰か!」一言でも発すれば、
すぐさまはかない行動の自由を奪われる。しかし、有り難くもわざわざ口に出す必要もない。
呼んできてくれ、アレフを!
城がこんなに大きく思えたことはない。かつては生き生きと喜びに満ち、暖かく、賑わい、
満ち足りていた城が……こうして久し振りに正気の眼差しで見てみれば、なんと無残に荒れ果てて
しまったことか。涙にくれ、暴虐に喘ぎ、悲しみに静まり返った、死の徘徊する城。死とは
この自分のことなのだ! このままにはさせておかぬ。あれの思うままには。
「王はどこだ!」
「あそこです! 宝物庫へ入って行かれます!」
追ってくるがいい。真実を知りたければ。よろよろと部屋の中央へ進んだ。しかしそこで、
ばったりと力尽きてしまう。
「ジャン!」
最後にその名で呼んでくれるのは、お前だったんだな。
抱き上げた男の顔に焦点を定め、次に首を捻って陳列棚へ目をやる。奮える指で、その一箇所
を……まずは、折れた聖剣。そして次に、妖しく輝きを増して見えるもう一つの聖剣へ……
そしてそれきりだった。たがが外れ、荒れ狂った。魔力の嵐。あれが怒り狂っている。怒りの
余り我を忘れている。もう自由をとどめておけない! けれどもう充分だった。やるべきことは
済ませた。魂がついに音をあげ、陥落する寸前に見た、アレフの顔。そこには、王の目にともる
正気の光への驚きと、理解があった……これでいい! これで何もかも救われる、アレフはそれ
だけの信頼に足る男、そしてこの自分はなすべきことを……王の使命を……
青白い光がそこに居合わせた者たちを吹き飛ばそうとした瞬間、剣匠の体は王から離れ、
陳列棚から折れた剣を引っ掴んだ……もう一方の剣に手を伸ばす暇はなく、押し流されるかに
魔力の奔流を浴び、かろうじて部屋から逃れた……そして。
そして扉は閉ざされた。
以来、城は死のみの徘徊し得る場所となり、一度は古の塔に保管された聖剣も場所を移す
しかなくなった。アレフと四人の側近たちは、身重の王妃と幼い子供を連れて、魔力の支配する
城を逃れた……「王妃をどこへやったらいいだろう?」ドーブル・スナイプスが、「ラルーゴ
では?」ラルーゴ。王の生まれた小さな村……
アレフは首を振った。「ラルーゴはまずい。王は既に民の反感を買っている。それに魔物の
被害も酷いというし」王家への反感が増しそうな土地はまずい。もっと安全で、忘れ去られた
ような辺境でなければ。
「では……」
「クイストにレオンという水晶細工師がいる。名前くらい知っているだろう? 彼のもとへ
預けよう」
それはそれで決まった。けれど、もっと大切な問題が残っている。アレフはのしかかるかのよう
に聳え立つ城へ視線をやった。目は暗く、想いはさらに暗かった。
「ジャンはわたしに斬ってくれと頼んだと聞く。あれ程のことが出来るのは、王の責任とやらの
ためなのかな。だが生憎、わたしにはそんなものは理解出来ぬ。親友を斬るなどということが、
出来るはずもない。それに、とっくに機を逃してしまった。わたしに出来るのは……」
親友を斬ることは出来ぬが、親友のために命を賭けることなら出来る。折れたムーンライト・
ソードがその手にある。折れた聖剣……折れてはいても、その意味は充分に伝わるし、
わずかながら魔力を放出する手助けにさえなる。ありったけの魔力を振り絞らねばならないし、
あるいは命さえ振り絞らねばならないかも……それでも、こうするしかないのだ。
アレフは四人を振り返った。ある決意の秘められた顔だった。「城を封印する!」それで
運命は決まったようなものだった。
こちらを見返す四人の顔が、一斉にそれを悟り、頷いた。
―――
空気が澱んでいるのでは、と思ったが、エド爺が頻繁に出入りしているらしく、それほどでも
なかったし、無論のこと、床も何もかも奇麗に掃き清められていた。殺風景ではあるけれど、
元より野に咲く花などここのところ見かけたためしはない……墓掘りのエドは、亡骸の
持ち物を剥いで汚していると噂されるような輩だけれど、こうして墓守の仕事は丁寧に
やってくれているし、他の村人たちも、悪気なく誠実だ……有り難いことに。だからこそ、
こうして自分の傍らで小さな肩を寄り添わせている子供が安泰に暮らしていけるのだ。
母と弟を、昨年亡くしたばかりの子。
ライルは膝をつき、手を組み合わせて熱心にお祈りしている。気の毒な子だ! 一挙に
家族を失って……幼くして既に、孤独を身につけてしまった。不憫だと思うし、慰め以上の
愛情を注いでやりたいとも思う。子供も寂しさの余りか、最近とみに彼に甘えたがる
ようになった。彼のあとをついて回り、彼の袖を引いてぐずり、夜更けに怖い夢を見たと
言っては「だっこ」をせがむ……怖い夢、ときた!
夢の一つも見て当然だろう。あのような恐ろしいなりゆきで城を出た当時、この子は既に
物心がついていて、当時のことを意識はせずとも、克明に覚えているに違いないのだから。
夜毎轟き渡る恐ろしげな悲鳴、ずるずると長い影を引きずって徘徊する狂気の王、かつては
暖かかった父の、冷え切り血走った眼差し……本来ははつらつとして明るい子なのだろうに、
怯えの余りか、すっかりおとなしく、考え深い子になってしまった。
「レオン、一人で寝るのは嫌だよ、一緒に寝させてよ」
「身分の違う者と一緒に寝たりしてはなりません。……」
「レオン、ぼくは怖いよ。お城が怖いんだよ!」
「何を言ってるんです、お母様やアフレ殿とのお約束があるでしょう……」
「行くのはいやだ。ぼくは死んでしまうよ」
「お父上は、お国のためなら死を恐れたりはなさいませんでした……」
こうしたやりとりの後は、芯から疲れ果ててしまう! 思えば大変な役目をしょいこんだ
ものだ。ライルがごく普通の子供なら、どんなにか楽だったろう。すがるような目を拒む
ことも、必要以上に懐かれぬよう計らうこともない。しかめ面も苦言も要らなかっただろう
に! ごく当たり前に、抱き上げて頬擦りしてやることも出来ただろうに。この子の将来を
思えば、どんな些細なことも適わない!
子供はお祈りに飽きてしまったらしい。立ち上がると、彼は子供を伴って墓所を出た。
用心深く辺りを見回し。この辺りの魔物は動きがのろくて大人にはさして害がない、とはいえ
今は子供連れなのだ、それ相応の注意を払わねば……フードのついたマントの裾で子供を
隠し、足早に、だが子供が転んだりせぬように、気を遣って歩く。
壊れた防壁を越え……こんな低い障害でも、子供の足には大変な負担なのだ! 足を
引っ掛けなどして泣かれでもしたら……何かに注意をとられて突然駆け出しでもしたら……
おとなしい子だ。ちょっとしたことでは泣きも喚きもしない。「泣いてはなりません。
あなたは特別な方なのですから。我慢しなければならないんですよ」いずれは王になる
子なのだ。それなりの育て方をしなければ……
甘やかさず、一線を隔て、毅然と接しなければならない。どんなに不憫に思えても、それを
顔に出すわけにはいかぬ。間違っても、細工師ごときの子になりさがらせてはならないのだ……
「ぼくは普通の子とおんなじだよ。だって、どこも変わらないじゃないか」
「体に流れる血の話をしているのです。よく耳を澄ませてごらんなさい……」
垂れ込めた雲。枯れた草木、荒れ果てた大地。豊かさのかけらもない、罅割れた国土……
子供は突然、マントの裾から飛び出して、走り出す。
「分かってるよ! ぼくはヴァーダイトの王だ! そのうち王になるんだ!」
一直線に駆けて行く子供のうしろから、レオンも息をついて走り出した。